当薬師寺は、禅宗の一派である黄檗宗(緑樹院派)の末寺である。
当山のはじまりは、延宝七年(1679)、青森県藤崎町出身の僧宗運が、津軽に於ける黄檗宗最初の道場をこの地に開いたことによる。
当初の山寺号は「寶巌山法眼寺」であったが、二代住職南宗元頓の時、 黒石市山形町に替寺され、山寺号を失い、薬師堂と称した。 この時に住職不在となり、法眼寺より監寺(住職代理)が置かれた。
享保九年(1724)、四代監寺秀國衍榮の時、弘前藩五代藩主津軽信寿公より「瑠璃山薬師寺」の山寺号が与えられた。
明治七年(1874)、出火全焼。再建は明治四十三年(1910)。本尊は釈迦如来、 左脇侍に迦葉尊者、右に阿難尊者を安置、この配置は黄檗宗大本山萬福寺と同じである。
境内には、東北では珍しい「石敢當」、県指定天然記念物「石割カエデ」、 将軍乃木希典揮毫の「忠魂碑」等がある。
住職 小野知行